空(くう)/啓発(悟り)/アセンション

空(くう)

ぼくたちは、どこへ向かおうとしているのか?
──それについて、もう少しつっこんだお話をしていきます。

ちょっとむずかしい話になってしまって恐縮ですが、でも、大切なことなので頑張って説明をしてみます(汗)

 

みなさん、『般若心経』については、(少なくとも名前ぐらいは)ご存知でしょう^^

その 『般若心経』で一番有名な一節が「色即是空」。

 

あ、ちなみに画像は、クレヨンしんちゃん公式オンラインショップで販売しているタオルです(笑)

「色」というのは、はじめのページでお話をした「現実」のことです。

 

はじめのページで「現実というのは、ある種の夢」だと言いましたが、『般若心経』では、さらにそれが「空(くう)」だと言い切っちゃっているわけです。

 

 

「空」というのは、映画のスクリーンのようなものです。
スクリーンがないと映画を観ることはできません。

 

映画が成り立つための大前提と言ってよいでしょう。

そして、すべての人は映画を観ているとき、必ずスクリーンを観ています。

でも、それに気がついている人はほとんどいません。

 

ちなみに映画であれば、はじまる前と終わった後に、映像が消えてスクリーンの存在に気がつく機会がありますが、「人生」という映画はそこそこ長いので、ほとんどの人は「空」というスクリーンのことを意識する機会がないまま、人生を終えていきます。

でも、ときどき「人生」という映画を観ている最中に「スクリーン」の存在に気がついちゃう人がいるんです。
つまり、自分が観ているのは「現実」ではなく、「空の表面に映し出された仮りそめの現象」だということに気がつくわけです。
インドの言葉では、それを「マーヤー(幻影)」といいます。

 

そうするとその人はもう、いつまでも他人がつくった映画につきあわなくてもいいのだということに気がつきます。
好きなときに席を立って、別の映画を観に行くこともできるし、何なら自分が映画をつくる側にまわることもできる。

 

──それが「啓発(悟り)」です。

 

整理して言うと、人生においてそれまで「現実」だと思っていたことが、「空」というスクリーンに映し出された「マーヤー(幻影)」だということに気がついて、そこから自由になることを「啓発(悟り)」と言います。

啓発(悟り)

こちらでご紹介する「ELM(永遠の愛の瞑想)」は、ボブ・フィックスが、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギの開発した「TM(超越瞑想)」で学んだ教えと方法を土台にしています。

マハリシは、意識にはつぎの7段階があると言います。

 

(1)目覚めているときの意識

(2)夢を見ているときの意識

(3)眠っているときの意識

(4)超越意識(純粋意識)

(5)宇宙意識

(6)神意識

(7)統一意識

 

(1)-(3)については、あなたもよくご存じのことでしょう。

 

「(4)超越意識(純粋意識)」は、(1)-(3)のいずれとも異なります。

 

「(3)眠っているときの意識」と違って、ちゃんと意識はあるんです。

 

さらに「(2)夢を見ているときの意識」と違って、自分の意識を自覚することもできます。

 

そのうえでふつうの「(1)目覚めているときの意識」とも違って、「何か」を意識しているというのとは、ちょっと感じが違うのです。

「意識している自分」が「意識の対象である‘何か’」と別のものではない感じ……。

 先ほどの説明と結びつけて言うなら、自分の意識が「空」=宇宙の「スクリーン」にフィットしているので、スクリーン上のすべてとつながって連動しているような感覚です。

 

しばしば、この感覚は目を開けて活動しているときにも体験することがあって、たとえば「ゾーン」とか「フロー」と呼ばれる状態に入っているときには、この状態を経験していると言ってよいでしょう。

この状態にあるとき、脳波はガンマ波=30Hz以上になっていると言われます。
多くの人は、深い瞑想状態というと脳波がかぎりなくゼロに近づいて、意識がなくなっていくかのような先入観をお持ちですが、じっさいには逆で、意識はとてもクリアな状態になります。
そして、ゾーンとかフローのような一時的な現象ではなく、ずっとその状態がつづくようになります。
これは精神的なものだけでなく脳の感覚を伴うので、体験をした人であればはっきりとそれを自覚することができます。

 

あなたも瞑想をつづけていれば、いずれこの状態はおなじみのものとなるでしょう。

 

 

「(5)宇宙意識」は、一時的に「空」に気がつくという状態からさらに進んで、それが自分自身のものとして定着している状態といったらいいのでしょうか……。

 

ここからが「啓発(悟り)」ということになります。

 

 

けれどもボブは、狭い意味での「啓発」はゴールではなく、むしろ真の人生のはじまりだと言います。

 

ひとつには「啓発」にも段階があって、「(5)宇宙意識」の先には、まだ「(6)神意識」「(7)統一意識」があるからです。

 

ぼくはまだ、そこまで語る準備ができていませんが、あえて説明をしようとするなら、「(5)宇宙意識」にはまだ「意識する自分(主体)」と「意識の対象となる何か(客体)」がある。

 

そこから、「意識する自分(主体)」を超えて、「意識の対象となる何か(客体)」までをも自在にマスターしている境地が「(6)神意識」


「意識する自分(主体)」と「意識の対象となる何か(客体)」の区別を完全に統合した境地が、「(7)統一意識」なのかなと思っています。

 

第2フェーズ=エネルギーの修得

ただ、ボブが「啓発(悟り)」がゴールではないというのには、もうひとつ別の意味合いがあるようです。

 

それは、「啓発」を得たあとも、人生はまだつづくということです。

 

「啓発」を得たからといって、あなたは消えちゃうわけではないし、よく言うように「永遠(とわ)の眠り」につくわけでもないんです。

 

 

考えてもみてください。

 

すべては「空」からはじまったのであれば、なぜいまぼくたちはここにいるのでしょうか?

 

つまり、「空」はずっと動かないで「空」のままでありつづける、という性質のものではないということです。

 

つねに、「空」から何かが生まれ、そして「空」に還り、また何かが生まれ……ということを繰り返していくようにできているんです。

 

 

インドでは、それを「神の遊戯(リーラ)」と呼んでいます。

 

だから、ぼくたちも仮に「啓発(悟り)」を得たとしても、そこからまたあえてあらたな「マーヤー(幻影)」を楽しむのです。

 

自分もまた、神として「遊戯(リーラ)」を紡いでいく……。

 

「愛」や「叡智」や「美」や「歓び」や……、いろんなものを創造し、表現し、みんなと分かち合っていくのです。

 

 

そこで、ひとつのカギになるのが「エネルギー」です。

 

中国伝来の言葉でいうなら「氣」。

 

インドの言葉であれば、まずは「プラーナ」。

プラーナは「シャクティ」「ソーマ」「アムリタ」とその質を高めていきます。

 

 

ボブは、「空」をめざすのが第1フェーズだとしたら、「空」から生成した「エネルギー」をマスターするのが第2フェーズだという言い方をしています。

アセンション

第2フェーズのひとつのテーマが「アセンション」です。

 

「アセンション」とは、日本語で言うと「次元上昇」という意味になります。

 

「次元」じたいが半分訳の分からない言葉なので(汗)、人によってさまざまな意味合いで言われていることなのですが、人間はいずれ物理的な現実や肉体を卒業して「ライトボディ(光の身体)」を獲得する、とも言われています。

 

現在の一般常識からはかけ離れた考えのように思われるかもしれませんが、そもそも「現実」がある種の夢なのであれば、十分にありうることかもしれません。

 

 

アセンション(ライトボディの獲得)は、啓発(悟り)を得ていることが前提とされます。

 

ただし、啓発をしたからと言って、アセンションをするとはかぎりません。

多くの禅の導師たちがそうであったように……。

そこにはエネルギーの修得が必要なのです。

 

 

これまで「道」を求める人たちは、突出した才能(過去生の背景)と、並外れた修行によって啓発やアセンションを果たしてきました。

 

けれども、いまぼくたちに起こっているのは個人的な啓発やアセンションではなく、「グローバル・アセンション」なのです。

 

現代は、個人の才能や努力によって啓発をしたり、アセンションをするという時代ではありません。

集合意識がシフトをすることによって、みんながいっしょに啓発やアセンションをするのです。

 

コロナをきっかけとして、そのプロセスはすでにはじまっています。

 

 

ちなみに、アセンションにも種類があります。

 

たとえば、イエス・キリストやチベット密教の始祖であるパドマ・サンバヴァは、物理的な肉体の死を経験することによって、アセンションをしたと言われます。

 

けれども、おそらくぼくたちはババジの道を歩むことになるでしょう。

ババジは生きたまま、その身体をライトボディへと変容させました。


ぼくたちがご提供している「ELM(永遠の愛の瞑想)」と「ババジ・アセンション・プログラム」は、それを目指す人たちの助けとなることを意図したものです。