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ぼくたちはどこから来て、どこへ向かおうとしているのか?

映画の話から

ぼくは映画、とりわけSF映画が大好きです。

 

いちばん好きなのは何といっても『マトリックス』のシリーズ。

 

あと、SFといえば小説も好きなので、フィリップ・K・ディックの作品を映画化したものも全部好きです。

たとえば『ブレード・ランナー』とか『トータル・リコール』とか。

 

そしてSF映画といえば、最近はクリストファー・ノーランが問題作を連発していますが、彼の作品の中でもぼくが一番好きなのは『インセプション』。

 

ほかにも、たとえば『バニラ・スカイ』とかいいですね。

ほんとうは、オリジナルの『オープン・ユア・アイズ』のほうがより好みですが……。

 

 

 

あ、ごめんなさい m(")m

 

映画に関心のない方には、タイトルだけ並べられても分らないですよね。

 

じつは、いまぼくが挙げた作品(ほかにも同じ系統の作品は山ほどあるのですが)には、ある共通したテーマがあります。

 

それは、主人公や登場人物たちにとって、それまで自分が何の疑いもなく「現実」だと思っていたことが、じつはそうではないのかも……という造りになっているのです。


「現実」という名の夢について

じつは、こうした発想は映画や小説だけのものではありません。

 

有名なところでは、荘子に『胡蝶の夢』という説話があります。

 

荘子は「老荘」といって、老子とならぶ道教の代表的マスターです。

あるとき、彼は夢のなかで蝶になって飛んでいたところで目が醒めたのだけれど、はたして自分が蝶になった夢を見たのか、それともいまの自分は蝶が見ている夢なのか……、と問題提起をする話です。

 

 

 

ぼくはこの手の話が好きなので、自分でもけっこうアレコレと探求をしてきました。

 

仏教や東洋・西洋の哲学、物理学、脳科学……。

 

理論的な探求だけでなく、体験を求めて(もう時効だから書いちゃうけど)各種のドラッグや、世界中あちこちに行って、たとえばマジックマッシュルームやアヤワスカといった幻覚性の植物を試したり……。

 

 

 

そして分かったことは、どうやら先に挙げた映画も、荘子の『胡蝶の夢』もただの作り話(フィクション)ではないということです。

 

そう、ぼくたちがこれまで何の疑いもなく「現実」だと思っていたことは、じつはある種の夢のようなものかもしれないのです。

 

現実の裂け目

あなたは、これまでふつうじゃ考えられないような奇跡や、偶然の一致を目の当たりにしたことがありませんか。

 

そこまで極端ではないにせよ、一般的に「ふつう」とされていることとは異なる、何かちょっと「変な」ことを体験したことはありませんか?

 

あるいは自分自身ではなくても、他の人がそのような体験をしたという話なら、聞いたことがあるかもしれません。

 

そういうことって、じつは「現実」の裂け目なんです。

別の喩えかたをするなら、テーマパークやイベント会場の片隅に「関係者以外立ち入り禁止」って書かれた立札があって、その奥を覗いてみると舞台裏の様子が見えちゃったりするようなものです。

 

 

 

そうした目で、「現実」を見ていると、ちょくちょく裂け目や綻びに気がつくようになるし、ときどきもうひとつ別の「現実」に触れたりする経験がはじまってきます。

 

ときどき、それは狂気や妄想、幻想へとつながることもありうるのですが、でもそれとは別に古(いにしえ)の聖人たちが語っていたことが「わかる」という領域に触れることもできるようになっていきます。

 

 

 

昔、フォンタナというアーティストがいて、絵に切れ目を入れちゃったりしていたんだけど、要はそれによって自分の視界が違う次元に突き抜けちゃう。

じつは、その向こうに「魔術」の世界が拡がっているのですが……。

モノ好きな個人を超えて

ここに書いてきたようなことは、その世界では「道」と言われ、これまではモノ好きな個人だけが探求をしてきた世界です。

 

でも、コロナによって、これまでの「現実」に裂け目ができて、集合意識の変容がはじまったのです。

 

それに伴って、もはやモノ好きな個人を超えて、たくさんの人がもうひとつ別の「現実」に触れはじめています。 

 

ぼくはこれまで40年以上、そんな探求をつづけてきたから、もしかしたら少しみなさんのお役に立てるかもしれません。

そんな思いで、いま何かを感じはじめている方々に、いくつかのご提案をしてみたいと思います。